こんにちは。
博多区の不動産会社プレイングハウジングの飯田です。
7月に入り、今年も博多祇園山笠の季節がやってきました。
博多の街中では、当番法被を着て颯爽と歩く博多っ子達をよく見かけるようになりました。
山笠関連記事は如何でしたでしょうか?
今回の取材をしていくうちに、まだまだ、私たちの知らない山笠が沢山あることに驚き、山笠の奥の深さに気付かされました。
山笠関連の取材は、これからも続けて行きたいと思います。
もちろん取材の依頼があれば飛んで行きます。
よろしくお願いします。
そんな中、「もうひとつの山笠」の作者でもあり、明日無き動物を救おう!!十夢の会(トムの会)の主催者でもある山本十夢さんのお宅にお邪魔しました。
「もうひとつの山笠」作者、山本十夢さん
山本十夢さんは、在アメリカ領事館退職後、小説家の他、奥様とご一緒に、捨てられて処分される犬・猫の救出活動など多彩な分野で、ご活躍をされています。
生まれも育ちも博多、数年前まで親子代々に渡り、博多どんたく、博多祇園山笠に参加されておられた生粋の博多っ子です。
著作に、
- もうひとつの山笠-まぼろしの福神流 (2009/4/20)
- 天空の旅人 (2012/4/5)
- 犬を飼う前に読みたい5つの物語 (2014/4/7)
などがございます。
東区の高台にある山本十夢さんのお宅に入ると、元気なワンちゃんたちの声と共に、笑顔が素敵な山本さんが、お出迎えして下さいました。
今回は、山本十夢さん著作:
- もうひとつの山笠-まぼろしの福神流
- 明日無き動物を救おう!!十夢の会(トムの会)
などの、お話を伺いました。
「もうひとつの山笠」まぼろしの福神流のあらすじ
すべては、あの雷事件からはじまった・・・
「福神流」とは、博多どんたくのルーツ「博多松囃子」の一つ、どんたくパレードの先頭を行く流と言えば、博多の住人であれば、あー!あるある!と理解しますが、その昔、福神流は、山笠にも一つの流として参加していた事は、あまり知られていない。
1241年から厄病除去の為に始まった博多祇園山笠。
国の重要無形文化財に指定された今では考えられない事だが、途中何度も存亡の危機を見舞われた。
時代は明治38年。それまで異彩を放って活躍していた「福神流」の歯車が狂い出す運命の日追い山ならしの始まりだった・・・
この時の山笠より櫛田入りする時に初めて時計を採用し、時計係が5分起きに合図を出し、山留の竿を上げる事になっていた。
一番山「西町流」が午前5時、大太鼓の合図で櫛田入りをした西町流は清道を廻り、「祝いめでた」を大合唱、境内を通過して立派に奉納された一番山が博多の街に消えて行った。
祖父藤次郎は、二番山「福神流」の取締筆頭として、台の棒先で待機し、福神流のスタートを、今か今かと待っていた。
突然の雷雨が襲う中、二番山のスタート1分前に櫛田神社を飲み込むような大きな閃光が走り轟音が響き渡った。
山留の仕切りの竹竿を上げる係が、雷音をスタートの合図と間違え、サッと竿を上げたのだった。
興奮度が最高潮の福神流の山は、両手を上げた藤次郎の「山を止めろ!」の叫び声が聞こえる筈もなく、藤次郎の制止を振り切り、福神流の山が櫛田入りをしてしまった事で、三番山の恵比須流からの後続の山も、早くスタートした福神流に腹を立て、時間を無視して次々に櫛田入りをしてしまい、追い抜け追い越せの大混乱をさせたと、福神流は、その責任をとって以後の山笠の出場停止処分を受けた。
100年以上経った現在も、福神流の一部の町内は「加勢町」として他所の流に参加している。
三代続く明治から現代までの福神流と、その中で生きる博多の人たちの暮らしを、克明に描かれた小説は、昔も今も変わらず、山笠をこよなく愛する博多の男たちの姿が伝わる作品です。
「もうひとつの山笠」について
山本十夢さんの小説「もうひとつの山笠」についてお聞きしました。
もうひとつの山笠には、登場人物や時代背景が、かなり克明に書かれておりましたが、
事実に基づいて書かれたのでしょうか?
小説ですから、肉付けしたところもありますが、実際にあった事も入っておりますよ。
祖父藤次郎は実名で書いておりますし、私の代になった時の話も実話を織り込んで書いております。
藤次郎の時代、明治38年5月、東郷平八郎が日露戦争でバルチィック艦隊を撃破、勝利に貢献。その年の8月19日、福岡市東区の亀山上皇銅像と日蓮上人銅像にお礼参りをした年の7月12日の
追い山ならしに、雷事件があったことで、福神流は以後、山笠の出場停止になったのは事実です。
あの「福神流」の雷事件ですが、山笠を愛して止まない博多っ子にとっての山笠出場停止は、最も厳しい処分だと思いますが、手一本で全て決まってしまう理不尽さが、本を読むとヒシヒシと伝わってきました。
加勢町として他の流に参加するのも、色んな制約などもあるので肩身の狭い思いをします。
それでも山笠は出たいと思うのが博多っ子です。
その後、「法被を脱げば来年は本流れに」というお話があった時、多数決で法被を脱がないことになった時のお話は本当ですか?
これは忘れもしません、本当の話です。多数決で決まったと言っても、僅か一票差だったのですよ・・・。
伝統ある法被でもありますが、100年位の伝統なのですよね。その以前の山笠は、上半身裸で走っていましたから。
残念ではありますが、未練はありません。手一本で〆ましたからね。
明日無き動物を救おう!!の活動
小さな頃から動物好きの山本十夢さんご夫妻は、「捨て犬、捨て猫などの殺処分ゼロ」を目指し、里親探しや、チャリティーコンサートの売上金を動物愛護団体に寄付する活動などを行っていらっしゃいます。
一部の身勝手な飼い主による、動物の虐待や飼育放棄など、悲しい事件が起きない様にと、今年の3月に「犬を飼う前に読みたい5つの物語」という本を出版され、6月2日に福岡市教育委員会を通じ、福岡市内の全小学校(143校)へ、「犬を飼う前に読みたい5つの物語」を寄贈されました。
この日も、動物を保護された時のお話、数日前に救出した捨て犬の怪我の具合の経過など、命の大切さや動物を飼う際の責任などを再認識させて頂きました。
山本ご夫妻の著書や活動に、いたく感銘しました。
犬6匹(うち預かり犬1匹)ネコ3匹(外ネコ1匹)と亀と暮らす山本さん
小中学校の先輩でもある山本十夢さんと、町内のこと、どんたく、山笠や動物の大変興味深い話を沢山お聞きし、山本さんのお宅を後にしました。
また、いつか福神流の櫛田入りを願って・・・。
編集後記
福神流の町内の一つ西門町(さいもんまち)の隣町、中小路には、チューリップの上田 雅利氏の実家「西門蒲鉾」があります。
1992年、地元仲間と自主作成された「オイサー幻の福神流」の曲もあり、その背景には、地元の発展に、ご尽力された上田氏のお父様や、上田氏もまた福神流への思いが強かったからこそ出来た曲だと思います。
故)上田 利一氏は生前、西門町の町内会長を長年務め、福神流の子供たちが可哀相と他所の町内に、山笠参加のお願いをし、加勢町として参加できるようになったそうです。
また、数年前より事情があり、今年も山笠は不参加となっております。
山笠に対する思い入れは、人それぞれ違うもの。
共通する言葉は、やはり
「山笠のあるけん博多たい!」